お題:青春とはなんだろう
今週末はいよいよ新渡戸祭。
テーマは「青瞬(せいしゅん)」だ。
実行委員の諸君には、校長挨拶として一篇の詩を贈った。
ひとつの青春が燃え尽きるためには何が必要か?
「今ある自分」と「あるべき自分」との距離
その距離は、時に絶望的なまでも遠い
しかし
君にはそれを超えようとする
孤独で強靭な意志がある
しなやかで凛々しい肉体がある
そして
それをともに超えようとする
朗らかな仲間がいる
それがあればいい
・・・歯の浮くようなことを書いてしまった(笑)。
しかし、これが私が長年見てきた「生徒たち=青春」へのオマージュである。様々なミュージシャンがカバーしてる名曲『深夜高速』(フラワーカンパニーズ2004)に「十代はいつか終わる 生きていればすぐ終わる」という歌詞がある。青春は短い。だから「青瞬」。なるほど。
ところで、私が小学3年生だった1965年、日本テレビ系列で『青春とはなんだ』という学園ドラマが始まった。その後、『これが青春だ』『でっかい青春』『進め!青春』『炎の青春』『飛び出せ!青春』『われら青春!』……と、まるで「青春」という言葉をタイトルに付けなければドラマが成立しないかのように、次々と学園ドラマが作られていった。そして青春の残響を描いたような『俺たちの旅』が始まった時、私は高校3年になっていた。つまり私は、小学校から高校までずっと、テレビドラマによって「青春とはこういうものだ」と刷り込まれてきた世代なのだ。だから今でも、こういう歯の浮きそうなことを、校長挨拶で平気で言えてしまう(本当は、少し恥ずかしい笑)。
さて、「青春とはなんだろう」という問いに、今度はちゃんと答えてみたいと思う。私の答えは「青春とは永久機関だ」である。
・・・これも、実は少し恥ずかしい。
ただし、これは「生涯青春」などという意味ではない。断じてない。青春はいつか終わる。ここでいう「永久機関」とは、外からエネルギーを与えなくても動き続ける装置のこと。もちろん、熱力学第一法則に反するそんなものは現実には存在しない。しかし私は、「青春のキャスト」(校長ブログvol.5参照)として生徒たちと長く過ごしているうちに、どうも青春というものは、このあり得ない永久機関に似ているのではないかと思うようになった。では、その機関を動かしているエネルギーは何なのか。それは、「何かを失いつつある」という喪失感と、「その何かが何なのかわからない」という焦燥感ではないかと思っている。そして、その「何か」は、おそらく「生成」に関わっている。
哲学者ニーチェは、「生命の本質は存在にではなく、生成にある」(『力への意志』1901)と言った。そして「認識と生成は相互に排除し合う」とも。「存在」とは、すでにそこにあるもの。それに対して「生成」とは、まだそこにはないものが、まさに今、生まれつつあること。だから、生成している最中のものは、まだ自分でも何なのかわからない。青春とは、ひょっとすると、この「まだ何者でもない」という状態そのものなのではないか。精神科医エルヴィン・シュトラウスの言葉として、精神病理学者木村敏が紹介している、こんな表現がある。「我々は現在形で生き、完了形で認識する。」(『偶然性の精神病理』木村敏1994)。
青春の脇役である我々教師にはよくわかる。
生徒たちは、現在形で生きている。
昨日までとは違う自分になり、今日まで知らなかった自分を発見し、明日はまた別の自分になっていく。一方、大人である教師は、それを見ながら彼らを理解しようとする。つまり、教師はどうしても「完了形」で認識する。けれども生徒たちは完了していない。いや、完了していないどころか、猛烈な勢いで生成変化している。常に未完だ。だから、こちらが「君はこういう人だ」(評価)と言葉にした瞬間に、その言葉からこぼれ落ちてしまうものがある。そして、それが学校という場所の面白さでもある。また私たち教師は、つい「生徒を成長させる」と言う言葉を口にする。生徒は、教師が用意した「成長」というゴールに向かって進んでいるだけなのか。冗談じゃない。むしろ、生徒たちは教師にもまだ見えていない場所へ向かって、自分自身を生成している。教師にできるのは、せいぜいその生成を邪魔しないこと。時には背中を押すこと。時には一緒に迷うこと。そして、何より、その「まだ何者でもない」、つまりは「ならずもの」である時間を信じることだ。
これまた多くのミュージシャンにカバーされている名曲『思秋期』(岩崎宏美1977)。そこでは「青春は忘れもの 過ぎてから気がつく」と歌われている。青春は、過ぎてからしかそれが青春だったとわからない。なぜなら、青春のただ中にいる人は、自分が青春を生きているとは認識できないからだ。彼らはただただ、現在形で生きている。迷い、焦り、笑い、失敗し、仲間と騒ぎ、昨日とは違う自分になっていく。そして、いつか大人になって振り返ったとき、ようやく「あれが青春だったのか」と気づく。
青春とは、生成変化することである。まだ自分でも何者かわからない。「今ある自分」と「あるべき自分」との距離に、時に途方に暮れる。けれどその距離があるからこそ、人は前へ進む。そして、その道を一人ではなく、仲間と歩く。
青瞬(青春)は、その一瞬を燃やす時間。
燃え尽きるからこそ、まぶしい。
終わるからこそ、かけがえがない。