お題:新渡戸稲造のいう「親心」とは?
本学園には、初代校長・新渡戸稲造が昭和六年(1931)に記した「教職員心得」が、今日まで伝えられている。その筆頭に掲げられているのが、「人の子を預る以上は親心を以てこれに対すること」という一条である。
親心とは何か。生徒を我が子のように慈しみ、何よりも大切にすることだろうか。新渡戸文化小学校では、これを「どの子も我が子」というスローガンに置き換えている。小学生という発達段階を考えれば、まことに自然な解釈である。しかし、盛岡藩士の家に生まれ、『武士道』を著した新渡戸を、そんな好々爺におさめていいものだろうか?中高生を預かる私はもう少し違った見方をしている。
私はこれを、「親は子より先に死ぬ」という事実に立って考える。親はいつまでも子のそばにいて、守り続けることはできない。だからこそ、親が不在の世界を生き抜く力を、子に手渡さなければならない。人としての尊厳を知ること、そして学び方を学ぶこと。その基盤をつくるのが親の責任である。そして親としての最後の役目は身をもって子に死を教えることだ。こうした責任は、教師にも当てはまる。教師が目指すべきは、いつまでも教師に頼る、「いうことをよく聞く」生徒を育てることではない。教師がいなくなった後も、自ら学び続け、自分の判断で人生を切り拓いていける主体を育てることだ
ところで、日本文化を<武士道≒タナトス=死>の側面から捉えた新渡戸稲造の“Bushido : The Soul of Japan “(『武士道』1900)に対し、岡倉覚三(天心)は”The Book of Tea”(『茶の本』1906)において<茶道≒エロス=生>の側面を描き出した。武士道と茶道、死と生。対立するように見える二つの思想は、果たして相容れないものなのだろうか。
哲学者・西田幾多郎が晩年好んで引用した禅語がある。「億劫相別、而須臾不離、尽日相対、而刹那不対」(大燈国師1282-1337)億劫(おくごう)相別れて、しかも須臾(しゅゆ)も離れず。尽日(じんじつ)相対して、しかも刹那(せつな)も対せず。・・・無限に長い時間、別々にありながら、一瞬も離れてはいない。一日中向かい合っていながら、一瞬たりとも向かい合ってはいない・・・相反し絶対的対立にあるものがそのままひとつのものとしても存立するという妙。まさに西田のいう絶対矛盾的自己同一である。しかもこれは近代の二項対立的思考でもなく弁証法でもない。禅、すなわち肉体を媒介にして存在の根源に遡ることによってのみ見えてくる景色である。華道、茶道、書道、剣道、弓道と、あらゆる「道」は禅文化と親和性が高い。全ての「道」は通底している。どこからも、どこへでも行くことのできる「無数」の、そして「ただ一つ」の道がそこに出来している。
「どの子も我が子」と「親は子より先に死ぬ」。一見、相容れないこの二つの表現も、こうした禅語や道(どう)の思想に照らせば、同じところを指し示しているように思われる。子を我が子のように慈しむことと、いつか子のもとを去らねばならないこと。子を守ることと、子を自立させること。両者は矛盾するようでいて、実は切り離すことができない。深く結びついているからこそ、最後には手放さなければならないのである。また、人は親であると同時に子でもある。教師もまたかつて誰かに教えられた生徒でもある。私たちは誰もが、他者との関係の中に生まれ、その関係に支えられながら生きている。個は決して孤立して存在するのではなく、他者とともにある「場」の中で、その人としての存在を形づくっていく。
親心とは、ただ相手を慈しむことではない。相手が自分なしでも生きていけるように、その人の中に、尊厳と学びの回路を育てること。そして、いつか自分がいなくなった後も、その人の中に自分との関係が生き続けることを信じることだ。
「どの子も我が子」と「親は子より先に死ぬ」。この二つの言葉の間にこそ、新渡戸稲造のいう「親心」の深さがある。