先日行われた、高等学校卒業式の答辞をご紹介いたします。
コロナ禍3年間を生き抜いた、これまでにも、これからもない、高校生活を生きた「想い」が込められています。
長くなりますが、ぜひご覧ください。

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答辞

厳しい冬の寒さも和らぎ、木々の蕾も膨らみ始める季節となりました。

今日、この良き日に私達のために心の籠った式典を挙行してくださり、ありがとうございます。

またご多忙の中ご出席くださいました校長先生をはじめ、先生方、保護者の皆様、在校生の皆さん、卒業生一同心より御礼申し上げます。
皆さまからいただいた数々のお祝いや激励のお言葉を胸に、本日、私達48名は卒業いたします。

3年前、世界が一つの闇に呑み込まれ、私たちは灯ひとつ見えない時代に遭遇しました。生きるとは何か、何に向かって進めば良いのか、その答えが何なのか誰にも分からない。ただ時間が過ぎるのを待つだけでした。
私たちが暗闇を乗り越えた時に掴み取ったものとは一体なんだったのでしょう。

振り返ると、新渡戸文化高等学校で過ごした3年間は様々な感情と向き合い、自分と見つめ合った日々でした。
私たちの高校生活は、オンラインから始まりました。
画面の向こうから聞こえた校長先生の挨拶、画面が真っ暗なままの生徒、自分達の教室に入った事もありません。一体、どんな高校生活が待っているのかと不安で仕方がありませんでした。中学生の頃から思い描いていた高校生活はどこにもなく、寂しさや悲しさを感じる日々。幸いにも『学びを止めない』という考えを持つ新渡戸文化高等学校ではオンライン授業という手法をいち早く取り入れ、日々学び続けることができました。
しかし、楽しみにしていたフィールドワークや体育祭などが行えず、友人をつくることさえもできませんでした。
1学期の途中から始まったスクーリングではやっと対面することのできた同級生に少しばかり緊張している自分がいました。画面を通してたくさん会話をしていても、対面で話す事は全く違う感覚でした。
初めてできた友達と最寄り駅まで一緒に帰った時、3ヶ月間感じることのできなかった充実感を味わえたように思います。2学期に入り本格的に学校での生活が始まると途端に辺りが明るくなったように感じました。
初めての新渡戸祭では、クラス合同でお化け屋敷を催し、それまで関わることのなかった同級生とも一致団結してイベントを盛り上げました。それ以降クラスの団結力が強くなったのを実感しました。
3学期のスタディフェスタでは、コロナ禍を乗り越えながら学んだ多くのことを伝えることができました。何気ない会話や行動が私たちの高校生活の思い出となっていくことに、嬉しさや時間が瞬く間に過ぎ去ることへの寂しさも感じる1年となりました。

2年生になってからはより精力的に活動を進め、クロスカリキュラムの時間に校外学習へ行くことも増えました。スタディツアーでは各コースごとに異なる地域へ出向くことでその地域の社会問題と自分の得意分野を組み合わせ問題解決をする活動を行い、自分の知らないことがまだたくさんあると感じることができました。

気がつけば3年生になり、私の目の前にいたのは、「これから自分が何をしたいのかと問う自分」でした。前例のないコロナ禍を乗り越えてきた私たちには何ができるのだろうと考える日々でした。そんな中で私が学んだことは人との繋がりの大切さです。人は誰かを支え、また同時に誰かに支えられる。その繰り返しです。私は多くの人を楽しませたい一心で高校生活を過ごしてきました。笑っていなくても良いから何かしらの感情を持っていてほしい、そして感情を与えられる人になりたいと思います。
先生方や友人と進路について話していくうちに、みんな見ている方向が違うことに気づき、同じように過ごしていても一人ひとり興味を持っているものは違い、それを組み合わせることで世界が成り立っているのだと感じました。

3年生の後半には、新渡戸祭とスタディフェスタに参加し、高校生活の最後までイベントに関わりました。私が後輩と2人で始めたプロジェクトは今や20人以上の人が関わるものとなりました。スタディフェスタのクロージングセレモニーで起きた感動は決して忘れることのない思い出となりました。後輩達も自ら動き、瞬く間に成長しました。人は、自分で自分の成長に気がつくことは極めて難しいですが、他人の成長や変化にはすぐに気がつくのです。だからこそ人は誰かと関わっていくのではないでしょうか。

今日この卒業の日を迎え、在校生の皆さんに伝えたいことは『今しかできないことをやる』ということです。
自分の置かれた立場に不安を抱き、悩む事もあるでしょう。世の中には矛盾も多く、思うように進まない事ばかりです。人は自分の当たり前を常に正しいと思って生きています。誰かに「それは違う」と教えられるまで。私もこの学校でそれを教えてもらいました。「自分の当たり前が他人の当たり前ではない」という事を心に刻んでおいてください。

突然ですが、皆さんは『学校に行く意味』について考えたことはありますか。
私は意味があると思えなかった時期がありました。勉強や部活に打ち込むこともせず、ただ興味のあることばかりを学校で行うのならば、1人で家でしていればいいのではないか、そんな風に思っていました。しかし、それが間違っていたと気が付くきっかけがありました。それは大学進学です。大学という場所は自分と同じ興味を持った人が集まる場所であり、必然的に人との繋がりが生まれます。このことを知ってから高校という場所を振り返ってみると人との関わりが高校生活の中心だったのではないかと考えました。その時その場所でしか関わることのできない人と出会わせてくれるのが『学校』だったのです。
『誰かと出会い、新しい自分を見つける』ことが私の考える『学校に行く意味』です。

新渡戸文化高等学校は常に新しいものを追及しています。そしてそれに適応できる人は、今後の変わりゆく社会でも様々な貢献をしていくことでしょう。皆さん一度自分自身に問いかけてみてください。「新しいものを追い求めることが全てなのか」と。もちろん変化を望む事も、変わろうと努力し行動する事もどちらも大切な事です。しかし、前だけを見て進んでいくと、時折自分がどこに向かっているのか分からなくなることがあります。実際に私もそうでした。私は生徒会活動をしている時、果たしてこの活動にはどんな意味があるのか、誰の役に立っているのかと悩んでいました。そこで私が思いついたのは『1から0、0から10』という仕組みでした。
「1」は従来ある物を指すとします。よくあるのはここから「10」を目指すというものですが、私はこの間に「0」を登場させました。この「0」とは振り返った際に当たり前の概念を壊すことで生まれた更地の状態を指しています。「0」を間に挟むことで、それまで突き進むことだけを考え混沌とした状態の思考を一度整理することができます。さらにこの時に目標の再確認ができると次のステップである「10」にもすぐに跳ぶことができます。今後、どんな活動でもつまづいた際には『1から0、0から10』の仕組みを思い出してみてください。

幸いにもこの学校の先生方は生徒の意見を全力で肯定してくださる素晴らしい方々です。在校生の皆さん、今何が必要かを自分で考え、時には友人や先生方と対話しながら正しいと思う道を歩んでください。

そして3年間温かく、時には厳しく指導してくださった先生方、ありがとうございました。先生方も変化をし続ける新渡戸の中で生徒を支えることはとても大変なことだったでしょう。それでも常に支えてくださった先生方には本当に感謝しています。
また、一日中私達の安全を守ってくださった警備員さん、最後までおいしい給食を作ってくださった給食室の方々、学校の隅々まで綺麗にしてくださった職員の方々、何かものが壊れたり、助けを必要としたらすぐに手を差し伸べてくださった主事さん、他にも私達が学校生活を快適に過ごせるよう日々尽力してくださった全職員の皆さん、長い間お世話になりました。そして本当にありがとうございました。
どんな時でも耳を傾け背中を押し続けてくれた家族にも改めて感謝を伝えたいと思います。本当にありがとうございました。これからも私たちの成長を見守っていてください。
そしてコロナ禍という前代未聞の時代を共に生きてきた友人がいたからこそ数多くの山を乗り越え、楽しく有意義な高校生活を送ることができました。本当にありがとう。これから皆さんと何気ない会話も交わせなくなるのが寂しいですが、明日を信じてそれぞれの道を歩んでいきましょう。
最後に、楽しいこと、辛いこと、まだ知らないこと、新たな出会い、そして自由と自律についてなど、たくさんの経験させてくれたこの新渡戸文化という学園にも感謝をしたいと思います。本当にありがとうございました。

私たちはたくさんの優しさに支えられこの卒業の日を迎えることができました。
本日、私たち48名はそれぞれの未来に向かって旅立ちます。新渡戸文化高等学校への心からの感謝を捧げるとともに、学園の更なる発展を卒業生一同お祈り申し上げ答辞と致します。

2023年 3月16日
新渡戸文化高等学校 卒業生代表