2学期より、校長ブログ「その翼を風に乗せるための航法Ⅱ」の連載を開始いたします!
このブログは教員や生徒、社会からの「問い」に対して本校校長の小倉が回答いたします。
ときには教育とは異なる話題もあるかもしれませんが、ぜひさまざまな視点の話題をお楽しみにいただければと思います。
お題〜教育は「今」と「未来」のどちらに主眼をおくか?〜
勿論「未来」。ただしこれを「未来に想定される社会に有用な人材教育」という狭義の意味で捉えるのならば(世間ではしばしばこうした解釈なのだが)、その教育デザインはたちまち陳腐化する。「先生、それって役に立つんですか?」という問いを発する生徒の意識にあるのもこうした<未来>であり、そうした<有用性>だ。すると狭義に留まる教師には答えに窮する。この<問い>に正面から答えようとしてはいけない。その問いの立て方自体に潜む世界認識のあり方をメタ認知させるべきなのだ。
教育の目的は学び続ける主体の育成である。過去現在未来といった時間軸に左右されない主体性の核に触れる問いこそが「教育の主眼」である。ただ一方で、教育における経済合理性を全く無視するとしたら、それはまた学校教育の聖域化あるいは形式化に陥らせる(本校は健学の精神として「学俗接近」を掲げている)。したがってそこでは「こだわるけれどもとらわれない」というアクロバティックな姿勢が求められる。仏国の哲学者アランは「作品から思想に。思想から作品にではない」という言葉を残している。創作と破壊というダイナミックな行動の往還の中から結果として思想は生成されるのだ。英国のパンクロックバンドThe Clashのジョー・ストラマーもこう言っている
「”Punk is attitude, not style.”(パンクはスタイルじゃない。姿勢なんだ)」。
よって立つところが「今」であれ「未来」であれ、それが予め決定づけられた思想、あるいは見栄えの良いスタイルである限り、教育は容易くイデオロギーあるいはファッションに堕する。
<付記>
タイトル「その翼を風に乗せるための航法」について
都立高校時代にHP上で発信していた校長ブログのタイトル。今回「Season Ⅱ」として9年ぶりの復活となる。
考案者はかつての教え子。川村記念美術館(当時)で着想を得たというから、おそらくジョセフ・コーネルのアッサンブラージュ作品からのインスピレーション。
この不思議で素敵な命名にあらためて感謝をしたい。