お題:新渡戸稲造の言う「知行合一」はどういう意味か?


 “A samurai was essentially a man of action”(“Bushido : The soul of  Japan “1900) 新渡戸稲造はその著書『武士道』第10章にそう記している・・・

「サムライは本質的に行動の人であった」。

そしてこれに続いて武士が知識よりも実践・行動を重んじたことについて述べている。英語で書かれた本書は欧米においてベストセラーとなった一方で理想論に偏しているという批判に晒されることも多い。ただ、これが現代の”The Last Samurai”(2003)や”SHOGUN”(2024)に至る欧米から見た<サムライ≒日本精神>を決定づけた古典の一つであることは間違いない。

 札幌農学校(現・北大)二期生としてあのクラーク博士と入れ違いに入学した若き新渡戸稲造は”a man of action”であったようだ。当時その快活にして物怖じせぬ振る舞いに”active(活動家)”という渾名で呼ばれていたという。クラーク博士と出会っていたら「否!青年よ行動せよ、だ!」と反論していたかもしれない。

この知ることと行動することは一体であるという実践の学は陽明学に由来し、その思想を端的に表現したものが「知行合一」という言葉である。知行合一を掲げる松下村塾を主宰した吉田松陰はもちろん、塾生の高杉晋作・久坂玄瑞らの行動、あるいは西郷隆盛の激烈な人生を鑑みれば、陽明学のラディカリズムには少なからず脅威を感じるだろう。ただし、そのエネルギーは旧体制を破壊するだけではなかった。同じ塾生の伊藤博文や山縣有朋は国家新体制を建設し、経済界を創設牽引した岩崎弥太郎や渋沢栄一もまた陽明学を信奉するものたちであった。
 幕末に盛岡藩士の子として生まれた稲造もまたこの志士たち同様に知行合一を意識していたことは想像に難くない。長らく徳川封建体制を支えた思想である朱子学は幕藩体制や社会秩序を維持するためだけのスコラティックな知の大系となっていた。朱子学の掲げる「格物致知」(知を重ねていくことで真理に到達できる)に否を突きつける陽明学は血気盛んな若いサムライたちを魅了したのだ。

 
 さて、本校では2019年から始めた学校改革のグランドデザインはこれまでの創立100年の伝統を踏まえた「知行合一・学俗接近」、そしてこれからの100年を見据えた”OECD Learning Framework 2030”の二つを柱とした。そして「知」(教科学習)と「行」(探究活動)を往還しながら学び続ける主体の育成を目指している。探究活動としてクロスカリキュラムやスタディツアーといった本校独自の教育デザインにこの知行合一の精神が生かされているのはいうまでもない。もちろん初代校長・新渡戸稲造の考えるところの知行合一である。幕末の若者の命を奪うことともなったテロリズムや過激革命思想にも通じる行動の学としてではない。では如何なる意味なのか?


 本校には新渡戸稲造の揮毫による”Haste not  Rest not”という掛け軸が掲げられている。ゲーテの詩(『穏和なクセーニエ』1821)からの引用であるこの書は全国に複数が存在する。よほど気に入っておられたようだ。「いそがず たゆまず」・・・おそらく「行(動)」に初速を与えるのは「情」である。ただしこれは初期衝動というべきものだ。それを持続可能なものとするべく加速あるいは制御するのは「知」である。これが「新渡戸稲造にとっての知行合一」だと私は考えている。

 冒頭に紹介した稲造の札幌農学校時代のエピソードには続きがある。彼のその後の渾名は”monk”。修道僧の如く勉学に勤しむ沈思黙考の人に変貌していったという。のちに台湾総督府において砂糖産業の基礎を興し、貧困に喘ぐ子どもや女子のための学校を創設し、更には国際連盟事務次長として人種差別撤廃や世界平和に尽くすことになる行動の人は深い知性に支えられていたサムライであった。そしてその行動指針が常に知行合一であったのはいうまでもない。