お題:行動と邂逅 ―「人間らしさ」とは?

 教頭さんの「校長、コラムを書きましょう」という一言から、今年度、校長ブログが始まりました。知の巨人である校長のコラムは、読むたびに脳が活性化し、思考が深まります。時には読めない漢字も登場し、検索しながら読み進めることもあります。だから面白い。

 そんな中、教頭さんから「副校長も書きましょう」との提案がありました。こうして副校長ブログも始めることになりました。今後は、校長と副校長がバトンをつなぐように、交互にコラムを書いていきます。

 知の巨人ではない私が、私らしく書くとしたら、テーマは「行動と邂逅(かいこう)」ではないかと思います。自ら行動したからこそ出会える人や出来事があり、そこから新たな問いや気づきが生まれます。そんな「今日だから書けること」を、できるだけライブ感を大切にしながら綴っていきたいと思います。

 記念すべき初回は、北海道岩見沢への出張中に書いています。先ほどの副校長ブログの提案も、まさにこの出張中にいただいたもの。早速、「行動と邂逅」がテーマになりそうな出来事に溢れていました。

生成AI時代に考える「人間らしさ」

 今回は、北海道教育大学が主催するイベントに、有志の生徒5人と同僚の先生とともに参加しています。
イベントのテーマは「人間に戻ろう。」
企画を率いる北海道教育大学岩見沢校キャンパス長の山本理人教授に、その思いを伺いました。

 山本教授は、生成AI時代だからこそ、人間性が改めて注目されていると話します。そして、「人間だからできること」「人間の成長に欠かせないもの」「人間らしい生活」「人間本来の能力が発揮される社会」について、「あそび」をキーワードに議論する機会にしたいとのことでした。

 皆さんは「人間らしさ」をどう考えるでしょうか。

 私の頭に浮かんだのは、「中動態」という言葉でした。中動態とは、能動態と受動態の二つだけでは捉えきれない、人の行為や状態を考えるための視点です。例えば、誰かを好きになることや、大好きな食べ物を食べたいと思うこと。誰かに命じられたわけでも、何かを無理に選ばされたわけでもなく、気づけば心が動き、自然と行動している状態です。自分の内側から生まれた興味や関心に導かれ、何かに夢中になっている状態ともいえます。私は、そんな状態に人間らしさの一つがあるのではないかと考えました。改めて、みなさんは「人間らしさ」をどう考えるでしょうか。

生徒たちが語った「夢中になれる時間」

 今回のイベントでは、本校の生徒5人がシンポジウムのパネリストという大役も務めました。司会者から「夢中になっているときは、どんなとき?」と問われた生徒たちは、それぞれの経験を語りました。
 
 プロジェクトに取り組んでいるとき。旅先で地域の人とおしゃべりしているとき。学校の友達と海へ遊びに行ったとき。国内に暮らす海外出身の方の家にホームステイして言語を超えたコミュニケーションをしているとき。そして、散歩をしているときと、それぞれが自由に「夢中の状態」を語っていました。5人の夢中な時は、それぞれ違います。しかし、どれも誰かにやらされているというより、自分の関心から始まり、その時間に没頭している姿が浮かぶものでした。
 5人に共通していることは、今いる場所や日常の枠を少し飛び出し、自分の心が動くままに、人や自然、出来事と関わっていくこと。これもまた、私が考える中動態に近い状態なのかもしれません。生徒たちの言葉を聞きながら、「やっぱり」と思う自分がいました。

「今日だから聞ける話」が生み出すもの

 ここまで書いていて、以前、自分が担当していた授業のことを思い出しました。
1年間の授業を終え、生徒たちに「授業のよかったところ」を尋ねたことがあります。そのとき、何人もの生徒が挙げてくれたのが、「今日でしか聞けない話を聞く時間が楽しい」という声でした。
 昨日あったこと、今朝考えたこと。その日に出会った人や出来事から生まれた気づきを、授業の中でそのまま話す。生徒たちは、そんなライブ感を楽しんでくれていたようです。
 あらかじめ決められた学習内容を進めるだけではなく、その場で生まれる問いや、思いがけない話に耳を傾ける時間に、生徒たちの好奇心やワクワクを引き出す力があったのかもしれません。
 これもまた、中動態を自然に引き出せていたのではないか。そんな問いが浮かびました。

新渡戸稲造の足跡から考えたこと

 さて、せっかく北海道に来たので、打ち合わせの合間に札幌にある新渡戸稲造記念公園にも立ち寄りました。ここは、かつて新渡戸稲造が創設した遠友夜学校の跡地です。
    新渡戸稲造が自ら創設した学校である遠友夜学校。その足跡に触れ、改めて、新渡戸文化学園の職員として教育に携わっていることに感謝の気持ちが溢れました。

 新渡戸稲造が明治後期に著した『修養』には、自分自身を磨き、より高い視座から物事を捉えることにつながる思想が記されています。その場所に立ち、日々の学校生活を振り返りました。生徒たちと学べること。同僚の先生方とともに教育をつくれること。普段は当たり前のように感じている日常に改めて、ありがたいことだとしみじみと感じる時間になりました。

 人との出会いがあり、行動することで新たな気づきが生まれます。そうした一つひとつの機会に感謝し、自分の視座を少しずつ高めていくことも、人間らしさの一つなのかもしれません。

 北海道から始まった、初めての副校長コラム。これからも、自ら動き、人と出会い、そこから生まれた問いを大切にしていきたいと思います。次は、どんな行動が、どんな邂逅につながるのでしょうか。